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タタミのあなみずのブログ

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この人を知っていますか?  大事な物・独り言

この人を知っていますか?

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実測地図を製作した、「伊能忠敬」

伝統ある商売や職人の計算は500年まえから使われていたと言うことです。物事を作り出すのには、このような人々がいたと言うことです。また、日本人のすばらしい知恵があったと言うことです。

和算とは
和算(わさん)とは日本で独自に発達した数学です。
特に江戸後期には日本中で数学ブームが起き、最終的に関孝和が行列式や高等数学を大成させました。しかし、明治時代に西欧数学が輸入され、和算は日本の教育現場から姿を消していきます。


和算といま
明治時代以降、使われなくなってしまった和算ですが、現代、その素晴らしい文化や内容が各方面で見直されてきています。「鶴亀算」などは皆さん聞いたことがある方も多いかもしれません。これは中学受験の問題ですが、首都圏の私立学校を中心に、和算を授業に取り入れる動きも出てきています。また和算を題材にした小説や漫画など和算を扱った書籍も最近では数多く出てきているようで、数学が好きな女性(いわゆる数学女子)を中心に密かにブームになっているそうです。

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和算の特徴
和算が見直されてきている理由は、その楽しいストーリー性にあります。
例えば若い少女を好きになってしまった男性の禁断の恋を題材にしているものや、家督相続で遺産をどう分配するかといった生々しいものもあります。無味乾燥な問題ではなく、問題ひとつひとつに愛や楽しさがある、まさに江戸っ子ならではの粋さが垣間見れますね。

和算の歴史
奈良時代
中国から数学と計算道具の「算木」が伝わる。
算博士が算生に数学を教える。
平安時代
万葉集に「九九」の記述あり。
室町時代
中国の明からそろばんや数学の本が貿易を介して伝わる。
1600年
日本最古の数学書「算用記」ができる。
割り算や利息の計算などが行われる。
17世紀
寺子屋(庶民の学校)でそろばんの計算を教えるようになる。
1622年
毛利重能の「割算書」ができる。
1627年
吉田光由の「塵劫記」ができる。
そろばんの計算を記述した本書は大ベストセラーとなり、類似本・海賊本が数多く出版されることとなる。
1641年吉田光由の「新篇塵劫記」ができる。。 巻末に答えのない難問を載せ、他人に解かせる「遺題継承」が数学者の間で流行する。
1674年
関孝和の「発微算法」ができる。
当時のヨーロッパよりも早く行列式を発明し、和算を大成させる。
1683年
日本最古の数学絵馬「算額」が栃木県佐野市に奉納される。


18世紀
建部賢弘の和算全書「大成算経」が完成。
全国的に和算・数学がブームとなり、出版や遊算の旅に出るもの多数。
1872年
明治政府は小学校の授業に西洋数学を採用。
以降和算は廃れていく。

算木について
算木(さんぎ)は和算で用いられた計算用具です。
縦または横に木の棒を置くことで数を表し、計算を行いました。
また算木に基づく算木数字も使われました。     「和算ナビ」より

算額とは
算額(さんがく)とは、神社やお寺に奉納した数学の絵馬や額のことです。
数学の問題が解けたことを人々は神や仏に感謝し、この算額を奉納しました。
中には難問や問題だけを絵馬に書いて答えなしで奉納するものも現われました。
その問題を見た人は、一緒家件名解答を考え、算額にしてまた奉納したのです。
この風習は江戸時代中頃から始まり、現在全国に1,000近くの算額が残っています。
算額を奉納するというは日本だけの独自のものです。

和算の絵馬

墨で書かれていたため、現在では文字の部分が褪せて見えなくなっているものも多数あります。
全体的には幾何学の問題が多く、算額の中には重要文化財になっている貴重なものもあります

明治に入って和算は無くなり、学校と言う教育の場所では算数(西洋)に変わって行ったそうです。
私の氏神様(住吉神社)には、4人の奉納絵馬があるようです。(1851年)

一度近くの氏神様へ行って奉納絵があるか確かめて見てください。




ご参考に     大事な物・独り言

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『 なぜ歳をとると時間が早く過ぎるの 』 ジャネーの法則 

ジャネーの法則(ジャネーのほうそく)は、19世紀のフランスの哲学者・ポール・ジャネが発案し、甥の心理学者・ピエール・ジャネが著作で紹介した法則。主観的に記憶される年月の長さは年少者にはより長く、年長者にはより短く評価されるという現象を心理学的に解明した。

簡単に言えば生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢の逆数に比例する(年齢に反比例する)
例えば、50歳の人間にとって1年の長さは人生の50分の1ほどであるが、5歳の人間にとっては5分の1に相当する。よって、50歳の人間にとっての10年間は5歳の人間にとっての1年間に当たり、5歳の人間の1日が50歳の人間の10日に当たることになる。

こんな法則があったのか。「法則」といっても、科学法則ではなく、説明の方便に近いが、まあまあ当たっている気はする。
「充実した時間は早く過ぎるが、あとからふりかえると長かったように感じられる。退屈な時間はなかなか過ぎないが、あとからふりかえると短かったように感じられる」、という説も聞いたことがある。これもすごく当たっていると思うのだが、誰の説だったろうか。

あとからふりかえったときの時間の長さは、「何をやったか」という思い出で構成されているのではないだろうか。だから、いろいろなことをやった時間は「長かった」ように感じられるし、たいしたことをしなかった時間は「短かった」と感じられるのではないか。

ジャネーの法則は、心理的な時間の長さを年齢とむすびつけているが、「なぜそう感じるのか」のメカニズムは説明していない(原典には書いてあるのかもしれないが)。私の考えでは、子供の頃のほうが毎日が驚きの連続で、ひとつひとつの体験が強烈なので、「思い出」になりやすい、というのがありそうに思う。
人間は歳をとるにつれて、世の中を理解していき、驚きが減っていく。よって、ひとつひとつの体験が「思い出」になりにくくなるので、あとからふりかえったときに「短かった」と感じるのではないか。



正座の歴史        大事な物・独り言

    正座の歴史

正座をすると、気がひきしまるという気持ちは誰もが経験したことがあるのではないでしょうか。
日本人といえば正座、という図式がまかり通ってる今日この頃ですが。では日本人は古来より正座をしていたのでしょうか?  答えはNOです。

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実は正座というのは、日本に浸透してまだ100年ほどしか経っていないのです。100年といえば、1世紀ですよね。正座はまだまだ若い歴史しか持っていないのです。江戸時代(1603~1867年)の中期頃では、正しい座り方は立て膝であり、アグラだったそうです。当時は現在での正座は「危坐(きざ)」または「跪坐」と呼ばれていました。私はアグラが正しい座り方だと言われていたことを知って、非常に驚きました。今では公衆の面前でアグラや立て膝なんてちょっと好ましくない格好です。男性がやったら許されるかもしれないけど、女性がやったら躾に厳しい両親なら叱るでしょう。

それが、茶の湯で有名な千利休(1522~1591年)までもがアグラをかいていたというのです。そもそも正座の元となる姿である格好は「かしこまる姿」という意味で使われ、本来仏事でしか使わないものです。なので、それ以外の場所での正しい座り方とは、アグラや立て膝のことだったということなのでしょう。考えてみればそうですよね。平和な今でこそ関係ないですが、武士たちの時代であるところの江戸時代に、動きづらい膝を折る「正座」をわざわざ日常で使ったりはしないでしょう。

すぐに刀が抜けて動き回れるような姿勢が望ましいでしょう。さて、では「正座」という言葉はいつ頃でてきたのでしょうか?この言葉が初めてでてきたのは、1882年の「小学女子容儀詳説」においてであると言われています。そしてその「正座」は単に「正しい座り方」という意味だったそうで、その格好は、今のとは違うものだったとも言われていますが、定かではありません。その当時の「端坐」という座り方が今でいう「正座」の格好であり、それが「正しい座り方」とされて「端坐」=「正座」となって一般市民に普及したのは、1941年に修身の中で教えられたからだという説があります。

修身というのは道徳のようなもののことで、修身の教科書(1872~1945年)に基づいて行われる教育のことです。これによって、我々の祖先はほとんど強制的に「日本人は正座をするものである」とすり込まれたも同然なんです。ではなぜそのようなことをされたのか。そのことには実は大きな意味があったのです。日本は鎖国をしていました(1639~1858年)。鎖国をしていた日本では、「自分は日本人である」という認識がとても希薄でした。今の我々も「私たちは地球人である」という認識は少ないと思いますが、これが宇宙の人と交流を持ち始めたら、「私たちは地球人だ!」という認識が強まると思います。 これと似たようなことです。

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外国人と交流を持ち始めた日本人は「自分たちは日本人である」という意識が強まりました。そして外国の人に対抗するためには「我々はとても立派な日本人である」という証が必要だったのです。その象徴が、正座に現れたのです。このような過程から、国は、日本人である証として「正座」を普及させたのです。こうしてみると、正座というものには政府の企みがありました。そしてその政府の企みは、まんまと成功するに至ったということです。気軽に私たちがやっていた正座には、こんな深い歴史的背景があったのですね。

                  「日本正座協会」より     執筆者:上村樹様


余談
畳は100年前には庶民も使うようになりました。また、庶民が行う正座も武士同様に、日本人の『義=人として守るべき道「礼から始まり、礼に終わる」』生活の中に取り入れたと思われる。

正座はある意味、相手に対しての心ずかい=「思いやり」「おもてなし」ではないのでしょうか?

それも、畳の上から・・・大事にしましょう。畳を!!



Ⅲ 日本人の文化と伝統    大事な物・独り言

Ⅲ 日本人の文化と伝統

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大事にしましょう。日本の伝統・文化を


私の持論、解釈  伝統、文化、
「伝統」とは、言い伝えられたこと、守ろうとすること、残していくもの。
「文化」とは、今、やっていること、周りにあるもの、今やろうとしていること。

つい最近、長崎県の高校生の事件、女子高校生の殺人事件の悲劇をどのように思われますか? 報道では、加害者は小学生の時から勉強が良くでき、また、スポーツのできる子供と言われています。なぜ、同級生のお友達を殺害したのか?報道だと、「人を殺してみたかった!」また、「人を解剖したかったから!」この少女は前もってホームセンターで刃物やノコギリを買っていての犯行と報道されています。なぜ、このような惨事になる前に家族やご両親は気が付かなかったか? いや、家庭内はきづいていたはずです。報道の中から聞けば、小学生の時からの生活行動が普通ではない行動をしているのが解るはずです。

私の持論、解釈
私は子供の事件がある時、いつも、畳の部屋、和室が無いのではないかと思うのです。

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報道から
ご両親の育て方を考えてみれば、お父さんは○田大学出身で弁護士、お母さんは東○大学教育学部出身で、ご夫婦とも教育熱心で、勉強さえできればよいと言う考えの家庭ではないかと思うのです。幼い時から家庭は裕福で、物を与えられまた、やりたいことは全て与えられ、我慢と言うものは与えられなかったのではないか? 勉強やスポーツなど一筋で育てたのではないかと思います。私が思いには、畳の部屋、つまり和室の無い家庭と想像します。小さいころから、畳の上で生活をすると人の愛情が解るからです。畳の上は個(個人)を作りません。常に肌が触れると言うことです。幼い時ほど、肌と肌が触れるのは、子供にとっての愛情です。動物も見てください。常に親と肌が触れています。日本の伝統や文化は西洋の文化とは違うはずです。イスやテーブルが入ってきたのは明治になってからです。日本の生活は文机やちゃぶ台で正座です。正座は畳のうえの生活です。敷布団や掛布団、川の字の生活、これが人と人を繋げてきた文化であり、伝統です。


日本人には、イスやテーブルは会いません。なぜかというと肌と肌が触れないから、また、人と人の距離を離すからです。ただ儀礼的では良いのですが、また、利便性から

でも日本人は、利便性だけでは心と心は繋ぐことはできません


ある著者から
「犯罪や非行に走る人間は、幼少期に親や先生らと信頼関係を築けなかったことが大きく影響している。また、教育とは、ただ知識や技術を教えることでなく、生きる力を身に付け、どんな状況にあっても勇気と希望を持ち続けるためのもの。こんな『教育の原点』をご両親、彼女は理解していたのではなかったか!

畳の上で、強く、子供をだきしめてください。きっと良い子に育ちます。




悲しい職人のはなし    大事な物・独り言

悲しい職人のはなし

物作りは、物が出来るまで何年かの時間との経過で、出来上がるものです。それが、取引会社(人)に裏切られ、廃業に追い込まれることになった。悲しい話です。

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その人は、今から50年位前に職人を目指してきたのです。中学校を卒業し都内のある処に就職をして将来は自分も店を持つことを目指してきました。その当時は、今と違い、住み込み(徒弟制度)の時代でした。

朝早く起き、夜遅くまで仕事をする時代でした。休みは、1日と16日月に2回のお休みでした。そんな彼は、10年過ぎご主人から独立をしても良いと言われ独立をしました。独立をして40年数年頑張ってきましたが 先日、取引先から弁護士を通じて手紙が来て、会社が倒産したので支払は出来ませんと言う話しです。

その話を聞き、私はショックでなりませんでした。夫婦二人とパートさんで丁寧な作業をしていました。その彼は相手先のことを常に思い、普段から真面目の性格の為に、他より手を賭け製品を作った人なのです。人柄もよく、誰にでも好かれ、また、少ない工賃でも仕事を受けていたそうです。製品は出来が良く相手先からはいつも褒めて頂き、本人も喜んでいた矢先、相手先から来たのは倒産の知らせです。その金額は数百万円で、半年分だそうです。

私は、その彼に聞きました何故そんなに貯めたのと言うと、「その会社のとの取引は十数年の取引だから大丈夫と思い、また、相手先の社長が支払を待ってくれと言う口約束で・・・・」

昔からの職人(徒弟制度)を経験した人ほど、このような失敗をする人が多いのが実情です。先ず、「人を疑わない」「人を信用する」「約束は必ず守る」今の時代と多少の違いがあり、昔の職人は、人と人の関わりを大事にして、疑うことを悪とし考えてきたのです。

昔から、職人になるには、先ず、見習いは、見て習い、職人になってからは耳で聞き、毎日、毎日の積み重ねで物が出来るものと誰しもがわかつていたはずです。要は、一人前には自分との闘いなのです。今の時代と違い、手仕事が多いことから余計に自分との闘いなのです。諦めない、放り出さない。「腕に磨き」つけるという社会だったから物づくりには年数が必要だったと思います。私そうでしたから

裏切った人も、同じ時代で生き、苦労も経験した人なのです。それでも、相手にを裏切りられました。それもまた、70歳すぎの社長だったそうです。要は、「自分(俺さえ)さえよければいいと言う人」また、「内(俺の)の会社は俺で終わりだから、子供がつがないからと言う」と言うことらしい。聴けば「情けないやら」「悔しいやら」・・・

このような人が多くなっている現在、誰を信用するのですか?況してや、若い社長ほど癖があり、今は、取引が大変な時代です。ただ利益を優先し、本来の顧客のことなどは頭に入れず、「儲かればいいんだ」「俺は大きい夢を持っているんだ」「ただ金持ちになるんだ」と言う若い社長が多いのも事実です。それをまた、マスコミ等はビジネスモデルと言い、困ったものです。 なにかが変です。

相手や取引先や他人のことなど、どうでもよいという風潮、自分自身が何ひとつ物は作れず、相手にだけは、安価な要求をしている社会 また、物作りの基本(過程)を考えていない会社や相手先が多いもの事実です。

職人になるのには、時間、経験があって初めて良い製品が出来上がるのです。短時間では物は作れませんし、出来上がりません?


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余談
読んでいただき、ありがとうございます。あなたはどのように、この話を思われますか?

彼も、苦労に苦労を重ねやっと老後を楽しもうと思った矢先、悲しいですね!!

ものづくりの職人を大事にしてください。そのうち職人が居なくなってしまいます~ょ?
誰が物を作るのです~か!!

ちょっとモノづくりのことを考えてみませんか