タタミのあなみずのブログ

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Ⅱ 日本人の文化と伝統    大事な物・独り言

Ⅱ 日本人の文化と伝統

なぜ、日本人は人に対して「親切心」を持つのはなんだろう。 先ず、「人に迷惑をかけない」ことを「親」や「周りの人」から教えられてきました。学者や知識人の話しでは、大昔から日本と言う国は自然災害が多く、人と人の助け合いをしなければ生きていけないと言うことです。大昔と言っても、ここ数百年の話しではなく、数千年前からの事ではないのではないかと言われています? 日本は自然災害が常におき、特に地震や台風などは世界で一番多い国と言われております。

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自然災害が多ければ、多いほど人の助けが必要とされていました。現在と違い、道具や機械があるわけでもない世の中、人が大事なのは当たり前であったはずです。人と人の協力なしでは生活も出来なく、助け合いが生きる手段と言われています。

災害があれば、最低でも、人から食べ物や着る物、物を頂くことが生きていく一つの手段だったはずです。また、食べ物一つ頂けなければ生きて行くこともできません。 このことは、つい最近50年まで、隣組など歌「とんとん隣の隣組・・・」もあったように、地域で、物を貸したり、借れたりすることで、地域、社会で生きていくことができたのです。これこそ、隣近所や地域で生きる、社会で生きる日本人の生活の知恵であったと思います。人に親切になることは生きる為の手段と考えられます。日本人ってすばらしい~

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「人に迷惑をかけない」「困っていれば、声をかけ」みんなで助け合いしてしまう。このような日本の社会は外国や世界中の人には理解が出来ないはずです。 近年、住宅やライフラインなどが整備され、本来の日本人の魂「他人に思いやる」が起伏になりつつあります。でも、東北大地震の時は、人と人が助け合い、世界中が日本人の心が解ったはずです。これこそ、伝統と言うべきではないでしょうか?


大事にしましょう。日本の伝統・文化を

余談  
伝統、文化、私の持論、解釈

伝統とは、言い伝えられたこと、守ろうとすること、残していくもの。
文化とは、今、やっていること、周りにあるもの、今やろうとしていること
。 
 


「畳の大事さは、人と人の繫がり」


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日本の良さ  大事な物・独り言

日本の良さ  文化・伝統

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日本人の生活
昔の日本人の生活様式や住まいの構造は、あまり家具を必要としない、使わない時は片付け、部屋は多くの機能に利用していました。西洋のソファーに対して、日本は畳に座布団が対応し、座布団は不要なときは押入等に仕舞こみ、台所のテーブルも折りたたみのちゃぶ台で、やはり使わない時は片付けられていました。部屋は常に大きく使わられていました。

今でも残っている和室の良さは、畳・障子・襖のある部屋、

障子は、光を遮ることや、寒さなども遮る為に今でも残っています。畳の部屋は次第に少なくなりましたが、寛ぐことには日本人として大事なところとなっております。また、襖や障子など引き戸の良さはいまでも見直され、マンションの居室にも多く使われています。

生活様式は、欧米と日本の違いは風土から始まり、例えば、インテリアに対する考え方は、その国の風土や環境などによるところが大きいと思います。したがって、伝統的なスタイルはその国にとって何かしらの必然があるはずで、当然そのよさは今に生かせるはずです。住まいはその地域の気候や環境や周りにあるもので作られてきましたが、都市への一極集中化、電化商品の発達や所得の向上などで、より快適な生活や利便性等を求めるようになり、特に大都市では人口の問題もあり、近年の防犯・防災の観点からも伝統的な住まいのスタイルは難しくなっていきました。でも隣近所は大事である。

欧米と日本の住まいの違い
ヨーロッパの住まいは石造りです。アメリカは木の家が基本です。両方とも壁を作って床を張り屋根を掛けます。つまり最初に壁ありきで、窓はその壁をくりぬくという発想です。地震のないヨーロッパと、乾燥した環境がそれを可能にしています。一方、日本は地震や台風が多い国で、夏は高温多湿、森林に囲まれてきた国です。建物は木を組み合わせて作られてきました。最初に柱ありきで、窓は間戸、つまり柱と柱の間(あいだ)の間(ま)ヒトヒロ(両手を広げて)に戸があることを表しています。尺度の「1間」などの言葉からみても、「間」というのは、日本人にとって特別な意味があるようです。

当然夏の暑さを防ぐ為に開口部は大きく開けて風を通します。石造りの場合、窓を大きく開ければ壁の耐力が低減しますから、窓の大きさは最小限とし、小さな窓をいくつも開ける形になります。当然室内は広い壁と小さな窓が並ぶことになります。広い壁には、絵画や壁掛けなどのアクセサリーを、窓にはしゃれたカーテンを、となるのは自然でしょう。反対に大きな開口部は、開閉する扉そのものに意匠を凝らすのも当然の成り行きだと思います。カーテンは小さな単体の窓にあってこそ美しいのであって、大きな開口部一面のカーテンは、幾分締りがない感じがします。でも日本の家屋は、やわらかい陽射しが差し込む障子など建具で工夫をしました。これぞ和室であり、いまでも続いている。欧米にはない家造り、夏涼しく、冬は障子で寒さを閉ぎって暖を取ったのである。

もともと日本の家は、基本的に柱と柱の間は全て開口部という日本の住まいは、引戸の襖を取り去れば二間続けて使えます。また、高温多湿な夏の時期は、窓や間仕切りを大きく開け放し風を取り込み、陽射しを避ける簾やよしずなど、様々な伝統的な夏の設えがありました。仏間・茶の間・座敷・客間・寝間など、各室の役割はありましたが、座布団を置けばそこが居間、布団を敷けば寝室、ちゃぶ台を出せば茶の間にもなります。今の家はダイニングテーブルやソファーは常にその場にあり、その場の役割が固定化し、場所がかなり要します。日本人の伝統的な和室には、「ものがあふれていな」事と、「しまう」という日本人の生活があったはずです。

モノにあふれない生活を、心がけてみませんか?モノがあふれると快適性を大いに損なうばかりでなく、掃除が行き届かず不衛生です。また、それほど重要でないものに多くの費用を費やすのは、資源の浪費でもあります。

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大事なのは、先ず、買う前に、今あるものを捨てる。
そのような考えかあれば物は増えません。

和室はいつもモノがない部屋に


長く使い続けられるものを考え、代々使い続けていくという、美しくしまう伝統に学びたいものです。モノにあふれた現代だからこそ「しまう」という伝統を見直してみませんか?

畳の部屋には物を置かず、空間遊びの場所です。

床の間には一輪ざしがよく似会う!!



日本人のこころ 大事な物・独り言

日本人のこころ

お客さまからの話です。この話をどのように思いますが?

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田舎生活をしているご夫婦にお孫さんが訪ねてきたそうです。「おじいちゃんの家は畳の部屋が沢山あるんだ~ね」と言ったそうです。こんなにあるのなら「僕はどこでも寝ることや、ゴロゴロしてもお母さんには怒られない~な~」と、子供さんは部屋じゅうを歩き回れるのをお母さんに自慢をしたそうです。お孫さんの家は全てがフローリングの部屋なので、歩き回ると音がして、いつもお母さんに叱られていたようです。

そんな子供は田舎の大きな家とたくさんの部屋にびっくりしたそうです。「僕、おじいちゃんの処でず~うと居てもいい」とお母さんに聞いたそうです。開放された和室、襖と障子の仕切り、全てを取り除けば、子供にとっては新世界、昔、つい最近の日本の家屋はどこの家も同じだった。

いまの子供は、遊ぶのも家が多い中、畳の多いのも新世界ではないでしょうか?

言い忘れましたが、ご主人が今、住んでいるのは築50年前に家で、新たにリフォームをしたそうです。リフォームは玄関とお風呂、キッチン、トイレ、和室は畳替えや襖、障子を張り替えたそうです。畳の部屋そのものはいじらず生活をしているそうです。

娘さん夫婦とおじいちゃん夫婦は、その晩は色々な昔話や世間話をして、6人で川の字で寝たそうです。むろん、この地域の色々なことがあったことを話し、また、娘さん夫婦に近所、地域が大事であることを話したそうです。


余談
このように川の字で寝るのは、和室しかありません。
めでたし、めでたし・・・・
畳が無かったならこんな話はない。

ちょっと考えてみませんか?日本人の和 



座卓と座布団 日本の和 大事な物・独り言

座卓と座布団 日本の和

お客さまからの話です。この話をどのように思いますが?

ご主人はある会社を定年になり、田舎暮らしを定年後にと思い、若いころから田舎生活を夢見ていたそうです。生まれたのは元々田舎出身の人で、大学に行くので東京で暮らしていたそうです。そのご主人は、定年前は、東京の郊外に自宅を構え、朝早くから会社に行き、帰りも遅く帰ってきたそうです。そんな生活ですから、近所ともお付き合いもせず、まして、地域の行事などには参加をしませんでした。また、奥様も同じような生活をしていたようです。近所との付き合いは、都会と言う感覚なのか、本人の問題なのか、近隣に対して希薄な生活をしていたそうです。

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田舎住まいをして初めて近所の付き合いが大事かと初めて分かったそうです。田舎暮らしは近所や地域を大事にしなければ生きて行くことができないと本人は言っていたそうです。田舎は隣近所で助け合いが大事で、色々な行事が多く、助け合いが無ければ生活をすることができないことが解ったようです。また、田舎の役所はお金がない為に地域を良くするには地域の住民の協力なしでは上手く運べないと言うことです。ご主人も自分の田舎も同じという思いがしたそうです。今住んでいるのは、自分故郷ではないらしい。

東京に居たときは、近所や地域の事などは考えもしなかったようです。本人いわく、田舎は人の手(手伝)が大事です。行政も「地域の大事さ」をいつも言っているようです。また、教えられたことは、少ない人で地域習慣を大事にしていかなければ、その地域では生きていくことができないことが解ったようです。

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全て点で目線を下げること、困った人がいればすぐに手を出すことが自分も生きられると言うことらしいです。都会にいる時は。全ての目線が上だと言うことです。例えば、イスやテーブルの生活が、座卓や座布団を考えなければ田舎暮らしはできないと言うことだそうです。

そのご主人は、畳の上の生活は日本人そのものと言っているそうです。座卓や座布団の生活は心が近くなると言うことですと、おい、お前で助け合いが成立できると言うことらしいです。また、ご近所の家で、ご老人ばかりで何人かの人と畳の上で車座になってお酒を飲んだそうです。酔いつぶれふと気が付けば誰かが自分の上に布団が掛けてくれ、朝まで寝てしまいました。ふっと天井を見たときに俺は日本人だと思ったそうです。誰かが心配をしてくれて、
つづく

余談
畳が良かったと言う話し? 畳が無かったならこんな話はない。
東京の生活も近所、地域が大事で、まして、畳生活(畳の上)は人の心がわかり易いと思います。ちょっと考えてみませんか?日本人の和 日本人なら誰でも親切ができるはずです。



日本人の畳と正座  大事な物・独り言

今とは違う、昔の畳       「 正座協会より  執筆者:そうな 」

筆者には誠に申し訳ありませんが、長~い、長~い、畳の話です。
ごゆっくりお読みください。


――畳は、やっと庶民の手に届く、身近なものになったのですが、皮肉なことに、そのとたんに需要は急速に減少してしまいます――
畳といえば、日本の昔話の映像には、頻繁に登場する場面が見られる。中でも、人里離れた畑で百姓をしながら、貧乏暮らしをしている老夫婦が、「じいさんや、今日の夕飯は奮発して、久しぶりに米でも食べましょう」などと言いながら、米3粒を水の入った釜に入れ、煮込み、ボロボロになった畳の上で、慎ましやかに食事をする場面が思い起こされる。なんという貧乏。なんという暮らし。まさに、お涙ちょうだいの物語です。(そんな話ではなかったと思うが)……しかし、私はそんなことを書きたいのではない。話はここからだ。本から抜粋して冒頭に表記した一文を、もう一度読み返してみてほしい。そして、最後まで読み終えたとき、恐らくあなたは思うだろう。「じいさん、ばあさん、その畳、どうやって手に入れた!?」と……。「座り方の変遷を見る上で大切なことの一つに、住宅の歴史があります」著者は言う。確かに、生活様式が変われば、座り方も変わる。

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極端すぎる話、サバンナ生活で正座をする人はいないに等しいだろう。著者は、その日本の生活様式で特に重要な意味を持つものが、「畳」だと述べている。畳と正座は、深く関連していると。その本来の畳の使い方について、著者はこう記している。「畳は本来、寝具や、今で言うマットの役割を持っていました」これを見た瞬間、私は、自宅の和室を一瞥し、畳の上でベッドよろしく跳ね回る子供を想像し、「ウソだぁ~」と思ってしまった。私の記憶上「イグサの青い良い匂いがする~」と仰向けに寝そべったはいいが、イグサでキッチリ編まれたはずのその畳は容赦なく固く、数分後には背中を痛めて起き上がった経験しかない。 しかし、それは著者の次の言葉で納得することができた。「当初は、稲の藁を束ねただけでしたが、藁が当たってかゆくなったり痛くなったりしないよう、また藁のクズが出ないよう、徐々に藁束を袋状のゴザの中に収納するようになります」 なるほど。つまり、これを読む限り、昔の畳と私の知る現代の畳は、かなり作りが違うようなのだ。

更に、この畳の文化について、著者はこう記している。 「日本は歴史的に多くの事物や制度を中国や朝鮮半島から取り入れてきましたが、畳は例外の一つといわれます。畳は日本人が独自に考案し、発展させてきたと考えられています。確かに中国や朝鮮半島では、歴史的にも現在も、畳は使われていません」これは嬉しい事実だ。アメリカで長く暮らしている友人も、その国に「畳は無い」と言っていた。そして、お隣中国(台湾)にも、やはりそれは無いと聞いた。 日本の日常で使っている漢字も最初は中国から入ってきたものであり、なんだかんだ歴史的には中国にはお世話になってきた。隣の国であるし、尊敬すべき思想家がいた国であるし、似たような外見・アジア人であることから、外見・文化の大きく異なるヨーロッパ人より安心して接することができたのだろうか。 様々な文化が入ってきたそんな中ではあるが、「畳」は紛れもなく日本の産物なのだ。

現代、原点を振り返ろうとしても、どこが発祥の地か分からないものが混在する中、胸を張って、印籠のごとく「これぞ、日本文化です!」と言えるものなのだ。 まぁ、どこが発祥の地であろうと、そこから独自に発展させ、極めたものであれば、それはもう自国の文化として扱ってもいい気がするが、やはり完全オリジナルというのは、また違った文化の味がある気がして、嬉しいのだ。これだけでも、また一つ、日本が好きになれる。

さて、昔の敷物といえば畳ばかりが頭をよぎる私の脳内だが、著者は、「鎌倉時代の武家造りまでは、ごく一部を除き、床は板張りであったと考えられています」と記している。板張り……いわゆる、海外でおなじみのフローリングかと思ったが、当時の海外の板張りの床より、クツを脱ぐ文化の日本の方が、板張りの床はツルツルして綺麗だったようだ。だが、これについては別の話なので、またの機会にすることにする。 先ほど、「鎌倉時代の……」と、本からの抜粋をしたが、著者は、「畳が登場するのはずっと以前」だと語っている。それはなぜか。著者の言葉はこうだった。

「たとえば、『古事記』には「皮畳」「絹畳(きぬだたみ)」「菅畳(すがだたみ)」、『万葉集』には、「木綿畳(ゆうだたみ)」「八重畳(やえだたみ)」といった文字が見られます」「皮畳は毛織の敷物、絹畳は絹織布の敷物、菅畳は菅(すげ)で編んだ敷物、木綿畳は楮(こうぞ)の繊維で作った敷物、八重畳は幾重にも重ねて敷く敷物といった意味です」「その形状は現在の畳とは異なる点が少なくないでしょうが、それでも今に通じる畳が奈良時代にすでに存在していたことは興味深いことです。これによって、古代の日本では、さまざまな素材の敷物を「畳」と呼んでいたことが分かります」これには驚いた。

元来、【厚いイグサの編み物】=【畳】だと思っていたので、その歴史には驚きである。

そこから発展して、著者の話はまだ続く。「平安時代には、畳は極めて贅沢な品物になります。厚みは増し、縁の柄と色、材質まで細かく厳選されるようになりました。畳は衣装や帽子と同じく、公家、僧侶の格を表現する手段となり、一般庶民は一枚でも使うことが禁止されていました」「『源氏物語』のいくつかの場面を絵画化した『源氏物語絵巻』には、板張りの床に畳が置かれ、座具と寝具を兼ね揃えていたことがうかがえます」なるほど。つまり、昨今流行っている畳ベッドというものは、原点回帰であったのだろうか。そんなにも贅沢品だと言われたら、急に欲しくなってくるのが人の業。

業といえば、著者はこんな面白いことを記している。 「鎌倉時代の絵巻物『北の天神縁起絵巻』には、長者の屋敷が火事になっている絵があります。屋敷の敷地は大混乱の様子で、畳を抱えて走っている人物の姿も見えます」「武家などごく一部の上流層のあいだではすでに使われていた畳は、火事になったら真っ先に運び出すほど貴重品であったことがうかがえます」真っ先に畳を運び出す……今となってはその光景は、やかんやまくらを持って走り回ったり、タンスを「火事場の馬鹿力~!」と持ち逃げするような奇怪な行動に見えるが、本気でやっているところを見ると、当時はそれほどまでに高価だったことがうかがえる。畳が大切な時代……。

この話は、文化は変わったな……と思わせられるものの一つである。畳より命の方が大切なのは、言わずもがなである。ふと、ここで一つ疑問が湧き起こる。何枚もの畳を運ぶのに、いったい何往復したのだろう……。畳を助けているその間に、人間が助からなかったことなどはないのだろうか……などの疑問である。
 だが、心配ご無用。これについても、著者はバッチリと記していた。「畳は本来、今のように敷き詰められてはいませんでした。鎌倉時代あたりまでは、一般的には「置き畳」のスタイルでした。置き畳は、その名のとおり床の上に畳を置きます。つまり、常時敷いているものではなく、必要に応じて、ほかのところから運んできて敷くのです。イメージとしては今の布団と同じでしょうか」これで、畳の扱われ方やどうしてすぐに持って逃げられたかが理解できた。著者いわく、『松崎天神縁起絵巻』には、炉を囲んで置き畳が敷かれている様子が描かれているようだ。そして、その置き畳の上にしとねを敷いて横になる女性の姿が見受けられるという。

これは、まさに、軽量型畳ベッドである。 と、ここまでで、置き畳の用途などは分かったが、私たちのよく知る和室の畳は、置き畳ではない。いったい、いつからこのようなスタイルになったのだろう。それについても、著者は、こう記している。「移動して使用していた畳が敷き詰められ、固定して使われるようになったのは室町時代と考えられています。すると、その場所は「座敷」と呼ばれるようになりました」「座敷は本来「畳を敷き詰めた部屋」の意味で、この言葉はもちろん今でも使われています」なるほど、敷き詰められた畳、今の和室の形になったのは、ちょうどこの頃だという。江戸時代ではなく室町時代というところが、私には歴史を深く感じられる気がする。

話は続く。
「この座敷のある家の造りは、書院造りの一つの特徴でもあります。書院造りの基本形態は床の間、明かり障子、天袋、地袋、そして畳などです。この書院造りがのちの和風住宅のもとをなしているのは間違いありません」 歴史の本に出てくるような書院造りが、日本家屋の元になっているなんて、驚きである。日本は、建国の浅いアメリカ等の国とは違い、比較的長い歴史の上に成り立っているから、このようなことが、現在の日本人の生活の元であることは沢山あり、おかしくはない。だが、なんとなく「書院造りが元だよ」と言われると、何か深いものを感じてしまう。

だってそれは、洋風の暮らしを取り入れた現代の生活の中にあるのだ。ふと、家の中を見わたせば、皮張りのソファの部屋の隣には、書院造りの間があるなんて……。こんなにも書院造りに食いつくのは、私だけだろうか。まぁ、その書院造りに喜ぶのもさておき、著者は次のように続けている。「桃山時代に完成したといわれる書院造りはしかし、一部の公家や武家、僧侶が使っていた住宅で、庶民にはやはり無縁だったはずです」やはりここでも、当たり前のように上流階級が先である。しかも、どうやらその理由は屋根の造りにあるらしい。著者はそれを次のように述べている。「当時、庶民の住宅の屋根は藁でできていました。藁葺きの屋根では、雨漏りしがちです。

畳も藁でできているため、水に濡れるとすぐにカビが生えたり、腐ったり、時にはキノコが生えたりします。これでは、せっかく畳を敷いても、雨が降るたびに台無しです」なんと、キノコが。キノコが生えたなどと聞くと、なんだか可愛らしいような、食糧になるんじゃないかというような気がしてくるが、実際に生えてくるキノコは、もっとオドロオドロしいのだろう。何というか、胴体の無い笠だけの、しかも、いやに白かったり灰色だったりするモコモコしたようなイカツイキノコなのだろう。頼んでもいないのに家や風呂場に勝手に生えてくるキノコなど、強かに決まっている。……とまぁ、これは根拠など無い、ただの私の偏見に満ちたキノコ的印象である。何はともあれ、そんな食べられないキノコが「我も、我も」と生えてくるなんて、断固お断りである。

一方の上流階級の屋根は、瓦でできていたそうだ。雨漏りをしないから畳を敷くことができる。理にかなっている。と、なると、ますます冒頭の老夫婦が怪しくなってくる。もしかしたら……彼らは、ただの老夫婦じゃないのかもしれない……。それはさておき、著者は、この桃山時代の住宅は、土間と板間がほとんどだったと述べている。「土間や板間で正座をしたら、痛いのは当たり前です。ということは、少なくとも安土桃山時代までの庶民が日常、正座をしていたとは考えにくい」本当、そうである。どこでも正座をすりゃぁいいってもんじゃない。

凛とした気持ちになれる正座も、場所を間違えれば拷問になる。 また、著者は、「たとえ畳が敷かれていたからといって、何も好きこのんで痛い思いをするとは、やはり考えにくい。特別な動機づけがない限り、人は苦痛を伴うことをしようとは思わないからです」とも記している。確かに、私自身、正座という姿勢は、慣れるまでは決して楽な姿勢ではないと思う。特に、武家や公家は、いちいち痺れていては仕事にならないだろう。人は、いくら物が揃っていても、時期が来なくては、「そこに山があったから登った」というように単純な理由ではいかないのだろうか。身分による畳の使用の制限もあったようだ。「手に入れば誰でも使えるわけじゃないのか」とも思ってしまうが、それは、畳をよく見れば分かることであった。

著者の本には、こう書いてある。「畳は権力の象徴でもあり、とりわけ縁の材質などで身分や地位を表していた時期もあるようです。たとえば、徳川家康の座っている畳は厚みが十分にあり、縁もいかにも最高級といった感じがします」厚みもさることながら、縁に注目したい。幼い頃に、「畳の縁は踏んじゃだめだよ」と、言われた方もいるのではないかと思う。私は祖母に言われたことがあるが、理由は「畳の縁から、刃物が出てくるかもしれないから」ということだった。何……その恐ろしい家……。幼心に世にも奇妙な話を植え付けられてしまった私だが、どうやらそれは、こう解釈できそうだ。畳は高級だから、上流階級の者が使うものだった⇒上流階級……例えば、殿様の住む城には、スパイも来るだろう⇒忍びは、畳の下や天井裏に身を潜ませ、刃物を出して暗殺をしたりしたのだろう。という風なら分かるが、なんとも恐ろしい話である。

だが、更に考えてみると、それは「畳の縁の材質などで身分や地位を表す」ということから、縁を踏まないように伝えられてきた怪談、一種の教えのようなものだったのかもしれない。聞くところによれば、昔の良家は、畳の縁に自分の家の家紋を入れていたそうだ。そうくると、もう縁を踏むなんて恐れ多いことはできないはずだ。ちょっとした小話の中にも、色々な歴史が隠れているのだなぁ、と思った思い出である。ここまでで、貴族と庶民の違いを話してきたが、そもそも庶民とはなんなのか。その疑問も、本書には、分かりやすく記されていた。「時代劇を見ていると、江戸時代には、それこそ武士と町人しかいなかったと錯覚してしまいそうですが、もちろんそんなことはありません」「武士と町人を除いた残りのほとんどは農民です。これこそがまさに「庶民」といえます」「明治時代も、庶民とは農民であると言って差し支えないように思います。そうすると、畳が庶民に普及したのは、やはり明治時代以降と考えるのが妥当です」「庶民を農民やごく普通の町人と考えるのなら、畳が庶民に普及したのは明治時代と考えるべきでしょう」なるほど、「庶民」の解釈次第で、二つの説が出てくるようだ。

この「庶民」の位置づけは、昔の人に話を聞かなくてはなるまい。文献などはあるのだろうか。そもそも、あったとしても、そんなことを事細かに書いたものが存在すること自体が、謎であるが。また、本書を読み進めていくと、別の床の存在が記されていた。少々長くなるので、要約させてもらうことにする。第二次世界大戦後でも、東京の下町は大雨が降ると、床上まで浸水してしまい、この時期も畳はまだ実用的ではなかったという。その時期には、畳ではなく竹の間というものがあった。なぜ、そのようなものが出てきたのかは、藁と竹を想像してもらえれば、すぐに気が付くだろう。竹は、藁と違って水をそんなに含んだりはしない。


だから、気候にピッタリなのだという。これを読んで、竹も藁も同じ植物という類からできているのにこんなにも違うとは……。改めて竹の独特さを感じた瞬間であった。そして、長い時間が経ち、時代は鉄筋コンクリートとアルミサッシという、密閉性の高い建物になってゆく。著者は、そのような空間では湿気がこもり、その湿気によってカビやダニが発生し、畳はそれらの温床になってしまうと述べている。同時に、アトピー性皮膚炎やアレルギーの原因にもなりかねないと。だが、実際には、アトピーなどの原因は畳だけでなく、かなり複合した要因があるという。誰か権力のある人物が、「畳のせいだ!」とでも言ってしまったのだろうか。畳ばかりが目の敵にされてしまった時代があったのだそうだ。そんな畳の不憫な扱われ方について、著者はこう記している。「畳は、第二次世界大戦を経て高度経済成長の時期に、やっと庶民の手に届く、身近なものになったのですが、皮肉なことに、そのとたんに需要は減少してしまいます」  


畳の歴史は、波瀾万丈。

畳が敬遠されてしまったら、正座も段々と日常から外れていってしまうように思える。しかも、著者いわく、昔の畳は今よりも柔らかく、クッションがきいており、まるで座布団のようだったそうだ。それが、丈夫で変形しにくい畳に開発するにつれ、現代のような硬い畳になってしまったらしい。これでは、畳と正座の仲は、ますます離れて行ってしまうのではなか……。だが、今の時代、和室にお呼ばれをしたら、必ずと言っていいほど用意されているものがあるはず。それは、誰もが畳とセットで覚えているだろう、座布団。畳と正座を救ったのは、座布団だったのだ。著者は、それについてこう語っている。「正座の普及にあわせて、畳の硬さを和らげるため、使われるようになってきました。現在のように、座布団の中に綿を入れるようになったのは江戸時代の中頃といわれます」そして、庶民に普及し始めたのは、大正時代からだと述べている。理由は、座布団に使われる安い綿が輸入されるようになったからだそうだ。確かに、いくら座布団が良い品でも、高くては普及することはできない。そう考えると、座布団が出回った時代よりもお手頃価格で買える時代に普及し始めたと考える方が妥当である。


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更に、著者は興味深いことを記していた。それは、次のようなことである。「意外に知られていないようですが、座布団は長方形をしていて、縦に使用します。これは、正座をすることを前提にして作られているからです」これには驚いた。 でも、言われてみれば確かに若干長方形である。畳の上で使う用の敷物……つまり、高価な畳の上での座り方は正座であるだろうから、正座をすることを前提に作られたもの、それが、座布団……と。 この座布団という当時のアイデアは、今の日本でも廃れずしっかりと残っている。これらの畳、正座、座布団の出来事を、著者はこうまとめている。「座布団の普及が正座を広めた」 さぁ、長い時を経てやっと手に入った畳という文化の結晶の上を、歴史を噛みしめるように踏みしめてみてもらいたい。私たちの先祖は……あるいは、輪廻転生があるのなら、その時の日本に生まれたかもしれない私たちは、きっと畳に憧れを抱いていただろう。やっとの思いで手に入れていたものが、今、ここに当たり前のようにあるのだ。そして、そのありがたみを感じられたとき、あなたは理解し、驚愕するだろう。高級であるはずの畳の上で、貧乏のどん底の暮らしを送っていた、その昔話の老夫婦の不可解な生活に……!!

※昔話の全てが畳ではなく、ゴザや板間で表現されていたものも沢山あります。
私の見ていた近代的な紙芝居やアニメ等にたまたま畳の表現が多かった可能性がありますので、あしからずご了承ください。

余談
正座協会さん、このような投稿ありがとうございます。重ねて感謝申し上げます。
長い文章と言って、誠に勝手を言い。すいませ~ん。 畳の原点が読み取れると思います。
「ありがとうございました」


お寺さんの施工  

ご住職様 奥様、この度は大変お世話になり、誠にありがとうございました。

八王子市内のお寺さんの仕事です。

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このお寺さんは、山のふもとにあり、とても静かで、厳かに感じられるお寺さんです。鳥のさえずが方々から聞こえてきます。心が凛とした気持ちになります。・・・・
以前は、他の畳店で施工をしておりました。畳へりも柄のへりでしたが、このたびは、紋へりと黒の無地へりに提案させていただき、施工しました。やはり、無地のへりはいいでね?また、紋べりいいですね?


ご住職様、奥様、この度は大変お世話になり、誠にありがとうございました。





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