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タタミのあなみずのブログ

あなみずの施工例や暮らしに役立つ情報をご紹介します。

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職人の見習い          独り言大事な物

昔の職人の世界
 
 私が修行した四十数年前、東京内で、江戸職人の気風がまだ残っているところだった。畳屋になって面食らい、職人独特の「しきたり」や「慣習」をいくつかあります。「慣習」や「しきたり」は全て兄弟子から伝授される。小僧が「しきたり」や「慣習」を失敗すると兄弟子から大目玉を喰らう。また、小僧は、住み込みですから大目玉を喰らった時などは飯がノドから通らないこともありました。

● 職人になるには、先ず、住み込みで、一日でも仕事を早く始めた方が兄弟子(アニデシ)となる。年齢は関係ない。(噺家や芸能界と同じ)例えば、30歳でも小僧(見習い)は弟弟子(オトウトデシ)となる、それが格差がある。さらに親方(オヤカタ)の補佐役は実際に現場で仕切る人は兄弟子(アニデシ)が仕切る。 店で言えば番頭にあたる。職人さんは親方(オヤカタ)の補佐役にはなれない。あくまでも親方に早くついた方が兄弟子になる。
(職人は一人前に出来上がった人です)

● 小僧(コゾウ・見習い)は一年中、朝5時に起きて仕事場の掃除、その日の仕事の下準備(段取り)を行う。小僧は前日に親方や兄弟子に明日の段取りを言われる。朝5時に起きても時間がなく大変な思いをしたことを覚えています。朝の食事は6時15分からで、食べる時間は5分から10分で食べ終えるのです。昔は、畳仕事は全てお客様の家に伺ってしていました。お客様に家に着くのは7時40~45分に必ず着くように家を出ました。8時には必ず仕事にかかっていました。仕事が、町内は良いのですが、遠くに行くときはもっと早く段取りをしておりました。また、このような段取りは全て小僧の役目でした。兄弟子聴き一生懸命になりやっていたはずです。

●十時、昼、三時のお茶の準備はその場の小僧(一番下っ端)がやる。
 小僧は一番最後まで働いき、お茶を飲むときは親方が一番先に飲み、その次は職人さん、兄弟子、小僧とお茶を飲むのも決まっていました。親方がお茶を飲み終われば直ぐに終わらなくてはいけなかった時代です。小僧は常に上の者が動きやすいように気を配らなければならない。だが、だからと言って 小僧が勝手に時計を見て、お茶を煎れるのはもっとよくない。仕切るのはあくまで親方や兄弟子で、小僧が何かを判断してはいけないのだ。

先ず、 お客様から「お茶どうぞ」という声がかかる。親方が「ありがとうございます」と言って受ける。しばらくしてから、兄弟子から「おい、お茶を煎れてくれ」その時初めて小僧はお茶煎れに動く。茶はなみなみいっぱいに注がない。親方から順番に知らせてゆく。碗の空きに心を配り、こまめに注ぎ回る。茶菓子が残ったら小僧が残さず食べる。このときの食べっぷりがいいほど喜ばれたり、高級菓子などが出たときは畳屋になって良かったな~と思います。昔は普段の食べ物が粗末の物が多かった為に・・・

●畳屋・その他、職人の世界は親方と呼ぶ。大工は棟梁(トウリョウ)、鳶は頭(カシラ)最近は、社長や会長でも事足りるが、一応の区分を知っておかないと恥をかく。だいたい、大工や鳶の方が畳屋よりも格上のようだ。家を建てるときは町内(地元)の 大工や鳶に相談し、その手配で畳屋や建具屋・襖屋・左官屋、板金屋・ペンキ屋、などが決まるからだ。だが、いまはほとんど大手の建築会社や住宅会社に地域の市場を牛耳られ、職人達は地域性を無視した規格品を設計通りに作らされている。職人たちは腕のふるいどころがなく、若い人は勉強の場がなく、腕の磨きようがない。

●給与は月給で月2回、ケガと弁当は自分持ち。
15日と30日が給料日で、職人達はこれを「小みそか・みそか」とか「勘定」とか「お給金」言っていたはずです。

●畳屋の服装
乗馬ズボンに足袋(コハゼ4枚~7枚)草履(ハナワは黒色)「草履のはなわは大工・鳶は白色」
私の兄弟子の話では60年前は袢纏(ハンテン)・腹掛け(ハラガケ)・バッチ(モモヒキ様な物)であった

●職人と家祝いの話
新築祝いは今と違い、家で職人さんや親戚などを呼び祝ったものです。祝いをする席は、先ず家長が床の間に床柱を背にし、右から鳶・大工が左、このように鳶職が一番で大工が二番で座る順序が決まっておりました。それを知らなければ、一人前の職人と誰もが認めてくれませんでした。また、昔は出入り職人が、その家全てに関わっていましたから、その家の御祝い事や仏儀までお呼ばれされたものです。

また、このような出入り職人ですから、いつ畳替えをするのも畳屋が決めていて、いつも畳はきれいにしておりました。植木屋さんも同じで定期的に手入れをしておりました。それが出入り職人だったのです。況して、金額などはその家に合った物を使い。安い高いのではなく、良い物を提供していた時代です。信頼関係は親戚以上だったと思います。


余談
お前の恥は俺の恥(小僧の恥は、親方の恥と言われておりましたから、厳しく小僧を育てて頂きました。どこの親方もその当時は皆、同じように小僧には厳しかったはずです。)都内の話



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